僕が人生向いてない訳 エピソード1
普段生きていて「ああ、人生向いてねえな」と思うことがしょっちゅうある。
これは今に始まったことではない。
子供の時は人生向いてないなと感じることはなかったが、今になって思い返すと「ああ、子供の時から僕は人生に向いてなかったんだな」とつくづく思う。
人間はすべて価値があると信じたいが、残念ながら生きてる価値のない人間はいる。
それでも、生きていかなきゃいけない。
それが理不尽にも思うし、なんか発散しようもない怒りに苦しむこともある。
人生向いてない研究家である僕が、人生向いてないなと感じる訳をこれから何個か挙げていこうと思う。(今回は数個だけ、次回は後半で)
僕が書いていく訳に賛同できる方は、僕と親友になれそうだ。
みんなは何個当てはまるかぜひ数えてみてください
①人間関係が苦痛、あるいは絶望的に向いていない。
人間関係しんどいっす。。
フロイトだか誰だか忘れたが、「人生が苦しい理由は、人間関係がほとんどが占めている。」と言っていたような気がする。
そう僕はフロイト先生お墨付きの、人生向いてない研究家なのだ。
たしかに人間関係が良好そうな人たちは、ものすごく人生がきらびやかに見える。
人間関係良好=人生向いている
の式は成り立ちそうだ。
そう考えると、逆の式も成り立つことになる。
人間関係向いていない=人生向いていない
うむ、僕を見る限りこの式も成り立ちそうだ。
とにかく人間関係をうまくやらない限り、この世界で生きることはとてつもなく苦痛である。。
②なーーーんも才能がない
個人的にはこれが一番きつい。
「人間、確実に一つは才能はあるもんだよ」
これは、才能がある人が言った戯言だと思っている。
マジで何の才能もない人間はいる、、、俺やんけ。。。
僕はホントになんの才能もない。
小学校時代、みんな何かしらの才能を持っていた。
ピアノできる奴、運動神経ある奴、絵がうまい奴、勉強できる奴、その他もろもろ。
中には一人で何個も才能にありふれていた奴もいる。
一方、僕は、、、マジでなんもできない。
なにをやらせても、終わってる。理解ができない、物分かりが悪くて真似できない。
あのー、神様、、欠陥商品を作らないでもらえますか???
僕は才能以前の問題で、普通のことすらいっぱいいっぱいなのに。
神様は何をもって、こんな人間を世に送り出したのだろうか。
過去の失敗を思い返してみたら、なんか過呼吸なってきた、あまりの情けなさにね。
個人的には、これが人間向いてるか、向いていないか、一番大きく左右するものなのかなとうっすら感じてる。
③興味関心、知的好奇心が人とズレてる
最近は意識的に新しいものに触れて行こうと頑張っているが、そもそも興味関心が人と違うところが僕にはある。
小学校時代、みんなの周りではなにが流行っていただろうか。
ワンピース、ポケモン、NARUTO、なんか忘れたけど、ここらへんのものが僕の周りでは流行ったような気がする。
さすがの僕もポケモンにはドはまりしていたが、その他は全くだった。
周りではNARUTO!ワンピース!!みたいな話が盛り上がっていたが、僕は全く興味を持てず、いつも一人でケシカスで遊んでいた。
今でもワンピースは7巻くらいまでしか読んだことないしNARUTOに関しては、一回も読んだことがない。
いつも疎外感を感じていた。
みんなについていきたかったけど、ワンピースやらNARUTOを買うお金もなかったし、たぶんバカな僕が読んでいても内容が分からず、意味不明だったと思う。
思えばこの辺から、僕は人生の異変に気付いていたように思う。
高校では、パズドラやらモンストが流行っていたけど、全く分からんかった。
インストールしてみたけど、あんましたことない。
僕は子供時代から外れものだったと、そん時に気づいていれば、もっと楽になっていたかもしれない。
僕が子供時代に戻ることができるなら、「お前、人とズレてるんやで、無理しないでそれを踏まえたうえで生きていくんやで」と優しく教えてあげたい。
前半は3つを紹介したが、この3つだけでも僕のダメージは計り知れない。
人生を回想していたら、あまりのダサさに死にたくなってきた。
まだまだ僕が人生向いてない理由はあるので、今後楽しみにしていただきたい。
これを読んで、「うわあ、、こんな奴でも生きていけるんやな」と元気を出してもらえれば幸いである。
友達少ないって悪いこと?
♪友達百人できるかなという歌があるが、僕は百人どころか五人もいない。
友達のよさがイマイチ分からないというか、、もちろん羨ましいし、楽しそうだなと思う。
でも最近友情というものを感じたことがないから、さっぱりイメージができないのである。というか忘れてしまったという表現に近いだろう。
皆さんは友達が多いであろうか、それとも僕と同じで友達が五人未満、もしくは0人という人もいるかもしれない。
友達は少ないが、もちろん知人と呼べる存在はたくさんいる。
皆さんもそうだと思う、知人は関わったことがある人だと僕は認識しているので、今まで生きてきた中でたくさんの知人ができた。
皆さんも学生時代の知人、仕事を始めてからの知人、たくさんいるはずだ。
でも友達は?と聞かれたら、うーんと唸ってしまう人も少なくないはずだ。
まず第一に、友達というのは定義が曖昧だ。
2、3回遊んだだけで友達だという人もいれば、そのくらいじゃまだ知人の範囲だよという人もいる。
人によって、捉え方というものは様々なので、皆さんが友達ではないと思っているだけで、他の人から見ると友達同士だと認識されているかもしれない。
まあ、一つだけいえることは、友達というものを定義づけするような人間は、友達いないだろうなってこと。まんま僕ですわ。
今、僕は3人しか親しくしてる人がいない。
一人は中学時代からの仲で、3人の中で一番仲良くしてる奴だ。
二人目は、世間的に言う障がい者と言われる人間だが、この言い方ははっきり言って好きじゃない。
そいつは確かにおかしい、ああ変だなと思われるのも分かるっちゃ分かる。
でもすごく面白いやつで、一番遊びにいく友達だ。
三人目は、とにかくクズ、僕と同類の人間だ。
大学生なんだが、FPSにハマりすぎて、留年しそうな奴だ。
他にも怪しいことをたくさんやってるし、クズを体現したような奴だ。
僕とそいつは「クズ会」なる飲み会を定期的に開くくらいの仲だ。
他にも紹介できるような人生を送りたかったが、これで僕の友達は終わりだ。
もういません、残念ながらね。
少ないなと思われるのは分かっているが、もしかしたら友達0人間からすると、羨ましいと思われるかもしれない。
僕自身もこれで満足してる。
友達は量ではない、質なんだと信じてるからね。
この日本において、友達が多いというのは、一種のステータスにもなる。
友達が多いというのは、魅力的な人間に映るし、なにより人生が楽しそうにも見える。
しかし、友達が多いというのは本当に素晴らしいことだろうか。
ここで友達が少ない僕が、僻みの意味も込めて友達の少ない素晴らしさについてまとめていこうと思う。
一方、困ることもあるので、それについてはまた次回まとめていこうと思う。
友達の少ない利点
①金の出費が少ない(自分のために使える)
これは、一番と言っていいほどの利点かもしれない。
てか、友達の多い人間(以下トモタ人間)って、やれ飲み会やら、やれパーティーやら、あいつら金持ち過ぎない?笑
もしかして、友達の多さって裕福さに比例してる?
ほんとよくそんな遊ぶ金あるなって思う。
一方、友達の少ない人間(以下トモスク人間)は、金の出費が少ない。
いや語弊だな、自分のために思う存分使うことができる金が増えるって言い方の方が正しい。
飲み会なんて行ったら、一回で3000円吹っ飛ぶよね。
僕も飲み会に行ったことあるが、正直言って一回も楽しさを感じたことがない。
いや、むしろ苦痛、しんどい。
そのうえ、3000円取られたら、もう僕は『やめて、絶望人のライフポイントはもう0よ!!!!』状態である。
3000円もあったら、グフフフフ、おっと失礼、妄想してしまった。
というのは冗談で、僕はおもちゃが好きだ。
今ハマってるのは、チョコエッグだ。
チョコエッグは一つ200円くらいするのだが、3000円もあったら15個も買えちゃう。
苦痛の2時間に3000円払うくらいなら、チョコエッグ15個買って、おまけのフィギュアを眺めながら、ニヤニヤして酒を飲む方がよっぽど幸福度が高い。
気持ち悪いのは承知の上だ。
でもこっちのほうが、自分の脳が喜んでるんだから仕方ない。
自分の趣味に使いたいから、わざと友達を作らないという強者もいるかもしれない。
これはそういう気持ち悪い側のみなさんには納得してもらえる利点だと思う。
②自分の時間が増える
これも中々優秀な利点だ。
友達が多かったら、いろいろとめんどい。
話合わせるために、面白くもないテレビ見たり、興味もない場所に行ったりしないといけないんでしょ?
僕には無理だ、そんなことできるならこんなブログ書いてない。
そんな時間あるなら、読書したり、映画見たりする方がよっぽど楽しい。
てか、みんなそうだと思う。
みんな好きなことしたいし、興味ないことはしたくないはずだ。
しかし、友人関係というものに、亀裂をいれないためにみんな頑張ってる。
僕にはそれが無駄なものにしか思えない。
みんな興味ないことまでして友人関係保たないでいいから、こっちの世界に来てもええんやで?(暗黒微笑)
③片頭痛が起きない!!!!
非常にマニアックな利点で申し訳ない。。
これは僕だけかもしれないが、人と関わると7,8割の確率で片頭痛に悩まされる。
これには、あの天才バッター、イチロー選手も驚きであろう。
イチロー選手は毎年3割は打ってきた天才バッターであるが、僕は毎回7割は結果を出す天才ヘンズツァーである。(ヘンズツァーとは片頭痛を起こすプロのこと)
申し訳ないが、仲良くもない人と一緒にいたら、ほとんどの確率で片頭痛に悩まされる。
これまた申し訳ないが、その人と別れたら、解放感という快感からか片頭痛がなおってしまうのである。
完全に人と関わるのが向いていない体質なのだ。
友達ができないというか、仲良くなっていく過程での片頭痛に悩まされ、僕は片頭痛を避けると同時に、友達も避けてしまったのかもしれない。
この片頭痛に悩まされる限り、僕は友達ができないと思う。。
でも、片頭痛になるくらいなら友達なんて。。友達なんて!!
さいごに
友達が少ない利点を3つ書いたが、飽きてきたので、やめる。
まだまだあるのだが(マニアックなやつを含めて)それは次回以降に書いていこうと思う。
世はまさに「自己顕示欲社会」である。
みんなが友達を多く見せようとして、頑張ってるようにしか見えない。
SNS映えするのは、友達が多い人間であろうが、SNS映えさせるためだけに自分を疲弊させるのはやめないか??
疲れることはやめて、自分を満足させる時間を使った方がよっぽど楽しそうだよ。
友達は作ろうとして作れるもんじゃない。
友達が多いのは羨ましいと思うことはあるが、あれは多分才能がないとできないことだと思う。
自分が友達できにくいと思うなら、無理して作る必要はない。
自然に生きていって、仲良くなった人を「友達」という形で残していけば十分だ。
長々と書いたが、読んでくれた人、感謝します。
Twitterでは書きたいこと書けないじゃん?
どうもー、Twitterこそが僕の居場所、絶望人です。
このブログはフォロワーさんに僕の思いを伝えていきたいなと思って、始めたブログです。
Twitterでは、どうしても文字数が足りなくなるので。
皆さんご存知の通り、僕は引きこもりニートなんで、暇なときにちょくちょく更新していこかなと思ってますー。
基本的にはネガティブなことしか書かないつもりです。
みんな、いや、人間って不幸な話が大好物だと思うんで。
僕は、反出生主義者で、安楽死施設を待ち望んでいるという特殊な人間なので
ここでバンバン思いをぶちまけようと思います。
こんな感じでテキトーにやっていくんで、暇つぶし程度に見てってください
※このブログは大半の人には過激な内容となるので、ご注意ください